久しぶりに古いパソコンのハードディスクを整理していたら口腔外科指導医審査の時に書いた小論文が出てきました。もう十数年前に書いた大学病院勤務時代の私自身の言葉ですが、いま改めて読み返すといまの私自身にあてた言葉のようにも感じます。
過去の指導経験から
「患者さんの状態はどうですか?」「はい、大丈夫です。」「何が大丈夫なの?」「意識も問題ありませんし、血液検査のデータや肺のX線写真も問題ありません。」「患者さんの顔色はどうですか?元気そうに見えましたか?胸やお腹の聴診はしましたか?触診はしましたか?」「いいえ、していません。」このような会話が指導医と研修医の間で何度繰り返されただろう。
私どもの医局に新しく入局してきた研修医はまず病棟と外来に振り分けられ、口腔外科の外来、病棟を半年間経験した後に他科のラウンドに出かける。ラウンドに出た研修医たちは麻酔科、救命救急科、放射線科、整形外科のうちの3科を3か月間ずつ研修したのち血液検査や呼吸機能、心電図などの細かな検査データをそれなりにある程度理解できるようになっていたり、あるいは救急時の静脈路の確保や気管内挿管などに少しばかりの自信を身に付けて口腔外科に帰ってくる。しかしながら文頭の会話はこのようなラウンド帰りの研修医と指導医の会話である。どこかおかしくはないだろうか?折角、医学部という環境で研修できるのに研修してくることは患者さんを診ることではなく患者さんのデータやX線写真の分析あるいは解析であるような気がする。
もちろんデータやX線写真の分析あるいは解析の技術や知識を身に付ける事は大切な事である。しかしながらもっとも大切なことはデータやX線写真を見ることことではない。毎日、患者さんの訴えを聞きとり、患部をみて顔色をみて、肌の具合をみて、そして胸やお腹の具合を自分の手で触診や打診、聴診をすることで把握することが大切なのだ。
データやX線写真を読む事は臨床医としての経験を積んでいくほどにできるようになるものだがなかなか身に付かないのがこういった患者さんを診るという医術であると過去の指導経験を顧みて感じている。何事も最初が肝心である。卒後、年数を経てからこういったことを身に付けるには相当の努力を要するので、研修医のあいだに習慣付ける事が大切であると考えている。私はこれからも研修医に対して患者さんを診る医術を身に付ける事を指導してゆきたいと思っている。
これからも患者様をみる医術を忘れないように、ひとりひとりの患者様を大切に診ていきたいと思います。