ドクターインタビュー
渡邊院長の詳しい経歴とクリニックへの思い
ドクターインタビュー
渡邊院長の詳しい経歴とクリニックへの思い
渡邊院長の詳しい経歴とクリニックへの思い
渡邊院長の詳しい経歴とクリニックへの思い
―マックスファクスという聞き慣れないクリニック名ですが、由来を教えて下さい。
顎顔面外科の英語名「マキシロフェイシャルサージェリー」の略称から来ています。正確には「口腔顎顔面外科」と言います。日本では聞き慣れないかもしれませんが、ヨーロッパで、「専門科目はマックスファックスです」と言えば、すぐに通じるほどです。
―「口腔顎顔面外科」とはどのようなものかですか。
日本では馴染みのない科目ですが、首から上の領域の診察科目の一つです。耳鼻科、口腔外科、歯科、形成外科、眼科、脳外科などがオーバーラップしている診療科になります。主に口腔、上下顎、顔面に生じる疾患(腫瘍、骨折などの外傷、口腔粘膜疾患、顎変形症など)を治療します。日本では、いくつもの科目に分かれていることから、全てを受け持つには医師免許と歯科医師免許の両方を持つ必要があります。 一方、私が修行したヨーロッパ(3カ国の大学病院にて。詳細後述)には、欧州頭蓋顎顔面外科学会という組織があり頭蓋顎顔面外科の専門医制度を設けています。
しかし、基本的には医師と歯科医師のダブルライセンス制となります。したがって資格取得までは、非常に長い道のりです。最低でも、8年間くらい働きながら資格を取るのが普通です。日本における専門医制度は、口腔外科学会が認める口腔外科専門医のみです。なぜ口腔外科なのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、日本口腔外科学会は英語で標記するとJapanese Society of Oral and Maxillofacial Surgeonsなのです。すなわち和訳では、日本口腔顎顔面外科学会を意味するのです。日本の口腔外科専門医は医師か歯科医師どちらかの資格があれば取得可能です。そのかわり、ダブルライセンスに匹敵するような難しい試験をパスしなくてはなりません。
口腔顎顔面外科の専門医と指導医の資格を持つ医師が専属で働く美容外科は、日本ではマックスファックス銀座クリニックだけです。私は骨格のエキスパートとして、美容外科の先生と協力しながら手術に臨んでいます。
―先生の経歴を教えてください。
山口県の出身ですが香川県の高松大手前高校を卒業しました。その後、調理師免許を取得するために東京の専門学校に通い、名のあるフランス料理店に就職しました。
―なぜ料理の道へ進まれたのですか。
高校の頃、父が当時田舎では珍しいフランス料理のレストランへ連れて行ってくれました。初めての異国の味と雰囲気にとても感激しました。何度かそこへ通ううちに、シェフと家族ぐるみの付き合いをするようになったのです。彼からフランスで10年間修行したと聞いて「自分も留学して、このような本格的なフランス料理のシェフなりたい」と思うようになったのです。
―お父様が医師だったそうですが、その道は考えていなかったのですか。
もちろん考えていました。小学校の頃には、医師になると決めていたくらいです。しかし、私には生まれつき身体的障害がありました。これが原因で医学部ばかりか工学部など理系の大学には進めないことを知り、中学生の頃には医師になることを諦めていました。
―そういう理由があったのですね。
はい、そうです。話を料理人時代に戻します。私が働いていたレストランにフランス人のメーテル・ド・テル(給仕長)がいました。彼と話しているうちに、高校時代に抱いた「フランスに行って修行をしたい」という思いが強くなりました。そして、お店を辞めてフランス語学校に通い始めました。しかし、そのころ運命的な女性との出会いがあり(笑)、結婚をすることになったのです。同時に、フランス留学と料理の道を捨てました。きっかけは結婚でしたが、やはり医療の道への未練があったのです。尊敬する父と同じ職業に就くという夢に対してです。その頃、身体的障害者を受け入れる医学系の大学が見つかるようになりました。私は手先の器用さを活かすため、歯学部へ的を絞って勉強し、1983年に岐阜歯科大に入学を果たしました。しかし、その年に父は他界しました。私は、天国で見守る父を安心させる思いで勉強に励み、特待生となり学費を免除されました。そして1989年同大学を無事卒業しました。
その後、東京医科大学に研修医として入局。以後16年間、研究者として臨床、教育に励みました。
―研究者として、具体的にはどのようなことに従事していたのですか。
口腔顎顔面外科の臨床です。その他、麻酔科に1年ほど出向し、全身管理について学びました。そこでは、隣接する関連各科(耳鼻科、眼科、脳外科、形成外科)の知識も習得することができました。研究では「口腔癌の病理組織化学的研究」「分子生物学的研究」「顎関節症と睡眠の関係」「顎変形症の手術手技」等々をテーマとして扱いました。この頃は、研究と学会活動に没頭していました。その時の指導教官が医科と歯科両方の免許を持っていたので、学べる範囲が格段に広がりました。彼は東京医大出身のということもあり、関連各科との関係も良好で、いつでも他科の手術や診療を勉強することができました。
―その頃多くの海外留学を経験したと聞きました。
本場の口腔顎顔面外科を学びたいという思いから、ドイツ、イギリス、フィンランドの3ヵ国に留学しました。特に、イギリスでの指導教官であったシュガー先生からは多くを学びました。彼は、骨切り・頭蓋顎変形症の手術が非常に上手で、世界で5本の指に入る方でした。イギリスは日本の医師もテンポラリーライセンスを取得すれば診療が可能でした。シュガー先生の在籍していたMorriston病院で勤務しながら、ヨーロッパの大学や病院の視察に明け暮れていました。
―患者さんとの関係について、日本とヨーロッパでは違いがありますか。
ヨーロッパではインフォームドコンセントが非常に進んでいることです。例えば、事故で耳がなくなってしまったとします。口腔外科医の私なら、「チタンインプラントを側頭骨に埋め込んで磁石で取り外しのできる、耳の形のシリコンインプラントを作りましょう」と説明します。一方、形成外科医なら「耳の組織や体の他の部位を取って、軟骨組織を作りましょう」と言うかもしれません。各医師は最良とする治療法、つまり治療方針を提示します。それを患者さんが選択するのです。その過程で、患者さんは納得するまで質問を繰り返し、医師はしつこいくらいに説明します。一日中話をしていることも良くあります(笑)。